他人の不幸にメシウマと喜んで、
人の幸せを一切許せない心の狭い人
あなたの周りにもいませんか?
あるいはあなた自身がそうかもしれませんね。
古くから日本語でも「人の不幸は蜜の味」とかいうし、ドイツ語にもシャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)という言葉があります。万国共通の感情なのかもしれません。
ですが、私はSNSが「不幸を喜び幸せが許せない人」をさらに量産して加速させてると感じてます。そんなネット社会の闇について考えます。
ある時Xでこんなツイートを見つけた
SNSには負の感情も正の感情もあふれてます。
私はあるとき、こんな負の感情を発見しました。
僕はね、人の幸せが許せない。
逆に不幸な人には優しい。
人の痛みが分かるから。
Xにはネガティブポストはありふれてます。
でもなんか、強烈に印象に残ったんですよね。
この人は「幸せが許せない」のあとに「逆に不幸な人には優しい」と書いてます。何が"逆に"なんでしょうか?人の痛みが分かると幸せを許せなくなってしまうんでしょうか?
日本人は特にそうですが、楽したり良い思いをしてる人には非難を投げかけ引きずり下ろそうとし、逆に不幸な人には見せかけの優しさを見せます。
ただし、世の中には不幸中の不幸を歩んでいる人もいます。上記ポストの方もその一人であり、安易にネガティブ思考と言い張るのも乱暴です。
その性質がこのポストに凝縮されてる気がする。
だから強烈に印象に残ったのかもしれません。
SNSは不幸感と卑屈さを加速させる
そして上記ポストと同じ人ですが…
このようなツイートもされてました。
つくづく、Twitter見てると僕だけが不幸だと感じる
僕より不幸な人っていますか?
この人は他にも色々ポストしてたんですが、あまりにも内容がセンシティブなのでここには載せません。
この「Twitter見てると僕(私)だけが不幸だと感じる」、これがSNSが不幸で卑屈な人を量産してる原因だと感じます。
なんでSNSを見てるだけで不幸を感じるのか?
- 意図せず入ってくるキラキラツイート
- 幸せな様子だけを映した写真動画
- ふいに目に入ってくる不幸なニュース
- とめどない不幸自慢の濁流
もう負の感情と正の感情が入り混じってます。
そして自分が不幸であるという自覚があると、キラキラツイートが憎くなってくるし、不幸なニュースには一種の喜びや快感を感じるんですね。
それは人間の普遍的な心理と考えられます。
人の幸せを許せないことの問題点
別にいいんですよ、人の幸せを許せなくても
でもそれはあなたに不利益をもたらします。
- 価値のある情報を否定してしまう
- 意図的に幸せなことを避けてしまう
- 得られたチャンスを逃してしまう
それが大きな機会損失になります。
もちろん自慢したいだけのキラキラツイートは無視すればいいですが、幸福感にあふれるポストにはチャンスを与えてくれる情報もあるかもしれません。
それを自らシャットダウンしてしまう
それほど愚かなことはないと思いますね。
人の不幸を喜ぶことの問題点
逆に不幸を喜ぶことの問題点はなにか
それは次のようなことです。
- 不幸による快感が中毒になる
- 不幸な話題ばかりを探し続ける
- 前向きな行動ができなくなる
これは分かるという人も多いはず。
自分が不幸と考えている状態で、それよりもさらに不幸な人を見ると快感を覚えます。だから先ほどの人のように「不幸な人には優しい」とか平気で言えるわけですね。
もっと別なことで快感を覚えた方が良いです。
SNSは適度な距離を保って使うべき
ありきたりでつまらない結論ですが…
SNSは適度な距離を保って使うこと
これがとても大事だと考えます。
あなたが自分を不幸な人間だと考えているなら、しばらくSNS(TwitterもといX)からは距離を置くべきです。
もし情報収集に使うだけだとしても、ネガティブ情報をまき散らしてるアカウント(滝沢ガ○ソ・ひ○ゆき・その他インフルエンサー)はブロックしておきましょう。それだけで視界が良くなります。
深淵をのぞく時、深淵もこちらを覗いている
私もそれを意識してSNS運用していきたいです。
フク郎
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